広島赤十字病院
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広島赤十字病院の前身である日本赤十字社広島支部ができたのは一九〇三年(明36) で、現在の場所に木造二階建ての社屋で発足した。日中全面戦争が始まった一九三七年 (昭12) から傷病兵士の増加を予期して全面建てかえ工事がおこなわれ、本館および中央病棟・北病棟は鉄筋コンクリート三階建ての新しい病院が、一九三九年(昭14)に完成した。
五月の開院とほぼ同時に陸軍の指定病院となり、市民などは外来の診察と治療のみで、入院は軍隊の関係者にかぎられた。
鉄筋コンクリートの本館・中央病棟・北病棟は爆風圧には耐えたが、内部は窓ガラスや器具などの破片が吹き荒れ、コンクリートの壁に突きささった。そして、こわれた窓から炎が吹きこんできたが、職員などの必死の消火活動で内部の火災はくいとめることができた。
当時の在籍者は、医師二七人、薬剤師六人、看護婦三四人、看護学校生徒四〇八人、職員七九人で合計五五四人だったという。そして、当日の死者五一人、重軽傷者二五〇人と記録にあるが、この数は院外にいた犠牲者をふくめてのことと思われる。
次つぎと殺到する負傷者はあとを絶たず、やがて医薬品や包帯なども使いはたしてしまった。そこで、消毒用のリバノールを作って洗面器に入れ、ガーゼにひたして患者の傷口につけてまわったが、作っても作ってもすぐ無くなったという。
敗戦後も多くの被爆者などを治療してきた被爆病棟も、老朽化のなかで一九九〇年八月に解体された。そして、一部残されていたガラスの破片で傷ついたコンクリート壁と爆風圧で曲がった鉄の窓わくが、市民運動でかろうじて一九九三年七月にモニュメントとして保存された。また、もう一面の壁は原爆資料館東館に保存・展示されている。 |