広島陸軍被服支廠
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この倉庫は、一九〇四年につくられた陸軍被服廠広島出張所の一部です。その三年後、陸軍被服支廠に昇格し、軍帽から、軍靴、外套、肌着、ベルト、ボタンまで、陸軍関係の被服一式を調達・製造・修理・保管する大施設でした。敷地内面積は十七万平方メートル、しかし敗戦とともに、あの日を耐えた百近い建物を残しその役割を終えました。 戦後は、社宅や公務員宿舎用敷地、個人住宅用地、県立学校用地、国道二号線用地、その他各種事業用地などとしてつぎつぎ処分・転用されていきました。現在は、県立広島皆実高校、同広島工業高校が跡地の大部分を占めています。 ここは爆心から二・七キロ、一瞬の閃光とともに、強烈な爆風が襲いかかりました。倒壊はまぬかれたものの爆心に面した鉄扉や窓枠は内側に大きく曲がってしまいました。 「あちこちで叫ぶ『水を下さい』の声、わが子を探す声、苦しさに声もなく横たわっている人、子供の泣き声。その声もだんだん小さくなり、一夜明けると冷たい体に変わっていました。また一夜明けると冷たい体がごろごろ横たわっているのです。裏の畑では、亡くなられた方々が、つぎつきに茶毘(だび)にふされました」 この一帯から宇品港(現広島港)にかけては旧軍関係施設が点在していました。現在もその一部が各所に残っており、当時の面影をしのばせています。 |
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