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2011年4月7日(木)「しんぶん赤旗」から

福島原発事故は人災
警告に耳貸さず 初動に遅れ

衆院委 吉井議員が告発 “英知総結集し危機回避を”


福島第1原発の重大事故を招いたのは、“二つの人災”だった―。6日の衆院経済産業委員会で日本共産党の吉井英勝議員は、原発事故を招いた政府の責任をただし、危機脱却のために英知を結集するよう求めました。

“海水注入命令は翌日になった” 海江田経産相

 人災の一つは、地震や津波などによる全電源喪失が原子炉の冷却機能を破壊し炉心溶融を招くことを、吉井氏が2005年以来、質問主意書や国会質問で取り上げてきたのに、政府が耳を傾けなかったことです。吉井氏は、今回の危機について「国も電力会社も原子力安全・保安院も“原発安全神話”を信仰し、情報を公開せず、国民の安全より企業利益第一主義に走ったのが最大の要因だ」と告発しました。

 昨年5月、国会で全電源喪失による炉心溶融は現実には起こらないと吉井氏に答弁していた寺坂信昭・経産省原子力安全・保安院長は、「当時の認識に甘さがあったことを深く反省している」と答弁。鈴木篤之元原子力安全委員長(現・日本原子力研究開発機構理事長)も、「現実にこのような事故が起きた。申し訳ない」と陳謝しました。

 吉井氏は、原子力安全基盤機構(JNES)の研究報告が、全電源喪失で0・6時間後に核燃料が落下、1・8時間後に圧力容器が破損すると警告していたと言及。重大局面に菅直人首相や班目(まだらめ)春樹原子力安全委員長が現地視察のため4時間半も原子力災害対策本部を離れたことは「重大な問題だ」と指摘。さらに、「視察から戻ってからも、12日の20時5分に経産相が東電に海水注入などを命令するまで10時間以上もきちんとした対策をとらなかったことが、今日の重大な事態を招いた」とのべ、重大な局面で対策を断行しなかった“もう一つの人災”について批判しました。

 班目原子力安全委員長はJNES報告を知らず、「どれぐらい緊急を要しているか把握していなかった」と弁明。海江田万里経産相は、ベント(蒸気排出)や海水注入を命令したのは「日をまたいでから」だったと認めました。

 吉井氏は、多くの研究者や技術者から、政府に提言を受け付ける窓口がないとの声が上がっていると述べ、「受付部門をつくり、日本の英知を総結集して、深刻ないまの事態を食い止めるべきだ」と主張。枝野幸男官房長官は、「おっしゃるとおりだ。関係当局と相談したい」と応じました。

 

原発事故集中審議 吉井議員質問

保安院長「認識甘く深く反省」 経産相「(「想定外」は)使うべきでない」


 福島第1原発事故発生後、初めて集中審議が行われた6日の衆院経済産業委員会で、同事故を取り上げた日本共産党の吉井英勝議員。未曽有の事故を引き起こした責任の所在と、危機打開の道筋が鮮明になりました。


警告が現実になった

 吉井氏は昨年5月26日の同委員会で、地震や津波による「電源喪失」が招く炉心溶融の危険性を指摘。これに対し経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は「論理的には考えうる」と述べ、現実には起こらないと答弁していました。

 吉井議員 “理論的な話”ではなく、現実のものとなったのではないか。

 寺坂院長 現実に、指摘のような事態が発生した。当時の認識に甘さがあったことは深く反省している。

 2006年3月1日の衆院予算委員会で、当時の原子力安全委員長だった鈴木篤之氏(現・日本原子力研究開発機構理事長)は吉井氏に、外部電源やディーゼル発電機、蓄電池など多重、多様な電源設備があり、他の原発からの電力“融通”も可能だから「大丈夫だ」と答えていました。

 吉井 設計上“大丈夫”だという話だったが、全ての電源が喪失したのではないか。

 鈴木理事長 国民に大変な心配、心労、迷惑をかけていることを大変申し訳ないと思っており、痛恨の極みだ。

 今回の事故について、菅直人首相や東京電力の清水正孝社長は、「想定外」としています。吉井氏は、日本の原子力安全基盤機構(JNES)の研究報告でも、全電源喪失で0・6時間後に核燃料が落下、1・8時間後に圧力容器が破損、16・5時間後には格納容器が過温で破損すると警告されていたと述べました。

 吉井 全電源喪失を考えて、いかなる場合にも今回のような事態を起こさせないというのが、原子力安全行政であり、原子力安全委員会の使命ではないか。

 班目(まだらめ)春樹原子力安全委員長 おっしゃる通りだ。今回の事故を深く反省し、二度とこのようなことが起きないよう指導してまいりたい。

 海江田万里経済産業相も、「想定を超えるものが現実の問題として起こったわけだから、(想定外というのは)使うべきではない」と答えました。

10時間以上 対応に空白

 大地震発生から約1時間後の3月11日午後3時42分、原子力安全・保安院はすでに全電源喪失による炉心溶融の可能性を認めていました。ところが、原子炉格納容器からのベント(蒸気排出)などの緊急措置が行われたのは翌12日の午前10時以降。

 吉井 なぜ早い時点で東電を指導しなかったのか。あるいは、東電が指示に従わなかったのか。

 海江田 法律にもとづく命令というのは、日をまたいでのことだった。

 吉井 班目委員長と寺坂安全・保安院長は、危機感を持って臨んだのか。

 班目 どれぐらい緊急を要しているのか把握していなかった。

 官邸の対応はどうだったか。

 吉井 炉心溶融から危険な事態にすすみうることを認識して、はっきり東電に圧力容器の蒸気(を出して圧力)を下げろ、海水を含めて冷却水を入れろといわれたのか。

 枝野 電力が回復しない、ベントもなされない、水も入れない状況が一定時間続いて、急がないといけないということを午前1時半の段階で行った。

 こうした甘い認識によって、結局、実際に1号機でベントが行われたのはそれから9時間後の午前10時17分。東電が最初の海水注入を実行したのはさらに10時間後の午後8時20分でした。

 それもそのはず、そういう措置を判断する重大局面だったはずの12日午前6時すぎ、菅直人首相と班目委員長はヘリコプターで福島第1原発に向かい、原子力災害対策本部を4時間半も離れてしまったのです。吉井氏はさらに、原子力緊急事態宣言を出した12日午前7時45分から同日の午後8時5分に経産相が東電に海水注入を命令するまで、なんの対応もみられない“空白の10時間”があったと指摘。

 「東電がやらなかったら、やらせなきゃいけない。総理と原子力安全委員長が4時間半空白をつくっただけじゃなく、12日の7時45分(原子力緊急事態宣言)から空白の10時間がある。これだけ深刻なものだということが明らかになっているのに、きちんと対応しなかった責任はきわめて大きなものがある」と吉井氏はただしました。

危機脱却へ英知総結集を

官房長官「提言踏まえ相談したい」

 吉井氏は、原発危機から脱却するために積極的な提案をしたいとして、全国の研究者や技術者が情報不足で提言したくてもできないという声があがっていることを紹介し、「研究者番号を伝えて意見を聞かせてもらえる受付部門をつくり、原発危機からの脱却へ日本の英知を総結集すべきだ」と提起しました。

 枝野官房長官は、「おっしゃる通り、さまざまな専門家の英知を結集することが大事だ。ご提言も踏まえて関係当局と相談したい」と応じました。

 吉井氏は「国も電力会社も原子力安全委員会もみんな『原発安全神話』を信仰し、“原発利益共同体”を築き、情報公開しないで、国民の安全より企業利益第一に走った。思い込みと秘密主義こそが重大な事態をもたらした要因だ」と締めくくりました。


対策を怠った政府の責任は重大 原発事故直後の動き

《3月11日》

 14時46分 地震発生

 15時42分 第1原発1、2、3号機・全電源喪失(経産相に通報=以下同じ)

 16時45分、18時08分 同1号機など注水不能、原子炉冷却材漏えい

 19時03分 第1原発に原子力緊急事態宣言

 21時23分 第1原発半径3キロ圏避難、10キロ圏屋内退避指示

 22時00分 原子力安全・保安院「2号機炉心露出。燃料棒被覆管破損」の予測発表

《3月12日》

 1時20分 第1原発1号機・格納容器圧力異常上昇

 1時30分 枝野官房長官がベント(蒸気排出)指示

 2時30分ごろ 首相が福島原発視察を決定

 5時54分 第2原発1、2号機・圧力抑制機能喪失

 6時00分すぎ 枝野官房長官が東電に「どうしてベントがすすんでいないのか」

 6時14分 菅首相が原発視察にヘリ出発

 ★首相、安全保安委員長が不在に

 6時50分 経産相が東電に第1原発1、2号機原子炉格納容器内の圧力抑制を命令

 7時45分 第2原発に原子力緊急事態宣言。避難・屋内退避指示

 ★10時間以上東電に命令せず

 10時17分 1号機ベント開始

 10時47分 首相がヘリで官邸帰着

 15時36分 1号機で水蒸気爆発

 17時16分 第1原発・敷地境界線放射線量異常上昇

 17時39分 第2原発10キロ圏内住民に避難指示

 18時25分 第1原発20キロ圏内避難指示

 20時05分 経産相が東電に海水注入などを命令

 20時20分 1号機に海水注入開始