鈴木化学工業倉庫
|
||
塚本町の鈴木商店は1889(明22)年に砂糖,小麦粉,石油の卸商として創業した。事業は順調に拡大し,営業品目もキリンビールの卸を加えるなど,市内でも有数の食品卸問屋として成長した。1937(昭12)年系列の味日本製造を吸収し,化学調味料の生産も手掛け,1944年3月には社名も鈴木化学工業に変更した。戦時中の経済統制によって,問屋の機能は徐々に失われていったが,グルタミン酸ソーダの製造は軍の指定工場としての役割を 本店の向かい側にあった倉庫は陸屋根の鉄筋コンクリート造2階建てで,1階の階高が高く,内部の間仕切りにはレンガが使用されていた。原爆によって,建物は南と西側のコンクリート壁の一部を残すだけで崩壊した。本店では経営者の家族,従業員を含めて14〜5人が即死したという。戦後,鈴木化学工業は皆実町の工場を母体に再出発したが,現在では再び製造部門を分離して,食品卸問屋として営業を続けている。(広島市『ヒロシマの被爆建造物は語る』から)
|
||
|