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原爆犠牲ヒロシマの碑
  • 中区大手町2丁目(大手町第一公園内)

 
原爆犠牲ヒロシマの碑 2000/9/13

 元安川東岸の緑地帯に異様な造形のブロンズ像が目を引く碑があります。それが原爆犠牲ヒロシマの碑で、ブロンズ像は原爆の強烈な爆風に吹き飛ばされた犠牲者の姿を表現しています。彫刻家の芥川永(ひさし)さんの作品をもとに、彫刻家の吉田正浪さんが製作しました。横3m、高さ1・75mあり、「もどれない風」という作品名が付けられています。

原爆犠牲ヒロシマの碑 2000/9/13

 この碑の建立は、高校生の平和サークル「広島県高校生平和ゼミナール」の原爆がわら採集がきっかけでした。爆心地に近い原爆ドームそばの元安川の川床には、原爆の熱線で焼け焦げた原爆がわらがたくさん埋まっていました。高校生たちは平和学習活動として、川床の土砂の中から原爆がわらを掘り出す作業を行い、長時間をかけて数千点のかわらを集めました。そして、普通のかわらをガスバーナーで焼いて比べてみて、原爆がわらがいかに高温の熱線を受けたか、かわら(屋根)の下にいた市民がいかに非業の死を遂げたかを学びました。

原爆犠牲ヒロシマの碑 2000/9/13

 しかし、広島市が1981年(昭和56年)に川床をさらう河川美化事業を行い、原爆がわらの採集ができなぐなりました。このため、高校生たちは自分たちの活動を記録し、核兵器廃絶と平和への決意を固める記念碑をつくろうと、全国の高校生らに募金を呼びかけました。この呼びかけに、全国の小・中・高校生や一股市民から約2000万円が寄せられ、1982年(昭和57年)8月5日に、碑は建立されました。 

原爆犠牲ヒロシマの碑裏面 2000/9/13

 碑には高校生たちの努力の結晶である原爆がわらがはめ込まれており、原爆がわらに囲まれた碑文には「天が まっかに 燃えたとき わたしの からだは とかされた ヒロシマの 叫びを ともに 世界の人よ」と刻まれています。

 

ヒロシマの碑裏面の説明文 2000/9/13