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藤井商事
  • 爆心地からの距離 270メートル
  • 中区中島町1番(中島本町)
  • 1899年(明治32)年7月竣工
  • レンガ造/2階建
  • 設計不詳/大林組施工

 
住友銀行広島支店 1925年頃

 1899(明治32)年7月,広島市の繁華街,中島本町に住友銀行広島支店のレンガ建築が出現した。敷地は旧山陽道に面し,旧藩時代の間口に比べ奥行きが極端に長い形状で,慈仙寺のすぐ南に位置していた。建物は2階建てで正面の3スパンの1階中央に玄関があり,その上には2本の円柱に支えられてバルコニーが付けられていた。屋根の前面中央には小さな変形ドームが配され,2階にはアーチ状の窓が各スパンに1つずつ,計3つ並び,左右対林のフアサード(正面)を構成していた。

藤井商事時代 1940年

 住友銀行広島支店は,1928(昭3)年12月紙屋町の現在地に移転する。この建物には貿易商の藤井商事が入居した。

1945年

  原爆によって正面西側3分の2と背後の壁面の一部を残して壊滅した。わずかに残った玄関周りから,この建物であることが分かった。崩れ落ちそうなレンガがむき出しになった姿はアーチとレンガの赤を印象づけ,人びとの目に焼きついた。

説明板 2000/9/13

 その後,藤井商事は中島本町で営業を再開したが,1950年頃,平和記念公園の建設に伴い大手町へ移転している。(広島市『ヒロシマの被爆建造物は語る』から)

説明板からレストハウスの方向を見る 2000/10/14