相生橋
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1912(大元)年に架けられた電車専用橋は,電車併用の相生橋として1932(昭7)年12月架け替えられ,1934年10月には橋の中央部分から中島北端の慈仙寺鼻へ橋桁が伸び,ユニークなT字型の橋が誕生した。そのすぐ南側には1878(明11)年に架けられた木造の相生橋があり,それが取り払われた1939年までのわずかの間,相生橋はH字型を構成し,特徴的な景観を形づくっていた。
市街地の中央に位置する相生橋は,原爆投下目標にされたといわれる。爆風は欄干を押し拡げ,北側を川に落下させ,水面からはね返って歩道の一部を持ち上げた。付近には無残な死体が無数横たわり,その中を多くの被災者が避難していった。
相生橋の復旧は被爆後間もなくからはじめられ,9月7日には市内電車が通り,4年以上の歳月を費やし1949年12月に終えた。都心の往来を支えたこの橋も1983年11月に新しく架け替えられた。橋詰めには被爆した親柱が保存されている。(広島市『ヒロシマの被爆建造物は語る』から)
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