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動員学徒慰霊塔
  • 原爆ドーム南側

動員学徒慰霊塔 2000/9/7


 原爆ドームの南側にある高さ12mの5層の塔です。やさしい表情で立つ平和の女神像と屋根の上で舞う8羽のハトが平和への思いを伝えます。この慰霊塔は、学徒動員作業中に亡くなった国民学校高等科、旧制中学校、高等女学校の戦争犠牲者を慰霊するため、1967年(昭和42年)7月、広島県動員学徒犠牲者の会により建立されました。

 塔の両横に、4枚のレリーフがありますね。文化勲章を受賞した彫刻家、圓鍔(えんつば)勝三さんが制作したものですが、レリーフには食糧増産作業、女子生徒の縫製作業、工場における作業状況、広島の灯籠(とうろう)流しが描かれています。

説明板 2000/9/7

 このレリーフでわかるように、戦時中、国民学校高等科、中学校、高等女学校の生徒たちは、戦争遂行のために必要なさまざまな作業に従事させられていました。男性たちが兵隊として従軍し、国内での労働力が不足したため、国は1943年(昭和18年)6月、学徒戦時動員体制確立要綱をつくり、若い10代の生徒たちを労働力としてかり出したのです。日本の戦況が悪くなるにつれて学徒動員も激しくなり、生徒たちは授業はほとんどなく、作業に当たらされました。

 原爆投下当日、広島では大がかりな建物疎開が行われ、その作業に国民学校高等科、中学校、高等女学校の生徒8387人が動員されていました。 うち6295人もの生徒が原爆の犠牲になったのです。

戦没学徒出身校 2000/9/7

 この慰霊塔はそれらの原爆犠牲者だけでなく、学徒動員作業中に亡くなった全国の生徒への慰霊が込められています。設置された銅板に、亡くなった学徒の出身校が刻まれていますが、その数は青森から沖縄まで39都府県347校に及び、当時、日本が支配していた中国の学校も含まれています。戦争の残酷さを物言吾ります。

 この慰霊塔から元安川治いに河岸緑地帯を下っていくと、動員学徒慰霊慈母観音像があります。この観音像は原爆犠牲者が出た広島市内21の中学校、高等女学校、商業学校、工業学校の遺族たちが1966年(昭和41年)7月に建立しました。(広島県原爆被害者団体協議会「ヒロシマは語る」から)