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袋町小学校
  • 爆心地からの距離 460メートル
  • 中区袋町6番36号(袋町)
  • 1937(昭和12)年1月竣工
  • 鉄筋コンクリート造3階建・地下1階
  • 広島市役所営繕課設計/森田工業施工

 

校庭をはさんで右が袋町国民学校


案内プレート

 この小学校はもっとも歴史の古い学校で、1873年に中区小町に開校した就学館が前身です。5年後に現在地に移転し、1892年に「袋町小学校」となりました。1945年当時、34人の教職員と886人の児童が在籍していましたが、大半の児童は双三郡に学童疎開していました。

 8月6日は、学徒動員で雑魚場町の建物疎開作業をしていた高等科の生徒70人と職員1人、学校に残っていた児童160人と教職員16人が被爆しました。学校は爆心から460メートルのところにあり、ほぼ全員が死亡。生き残ったのは、鉄筋コンクリートの校舎にいた児童3人と小林哲一校長、坪田省三教頭だけでした。

袋町小学校 2000/6/3

 「校庭に出てみると、ちょうど、夜明けぐらいの明るさであった。女の人が一人、もんぺの布が少し残っただけの丸裸で倒れていた。そのまわりには、やはりまっ黒になった裸の児童が倒れていた。動く者はだれもいない」、と坪田教頭はそのときの様子を書いています。(『袋町小学校120周年記念誌』)

 授業が再開されたのは1946年6月。登校したのは、児童37人、教職員3人だったといいます。(「広島修学旅行ハンドブック」より)

 

 

 

 

1940年3月

 

被爆者の伝言で埋められた階段室の壁 1945年10月6日

 

 

8月6日、世界に発した『平和宣言』の直後から解体が始まった被爆建物の袋町小学校 2000年8月7日10時