白神社
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白神社は国泰寺に連なり、当時は今よりもずっと広い境内だった。爆心地からの距離は約六〇〇メートル。 被爆後、最初に参拝した人の話によると、社前に軍人らしい人の焼死体、石畳中央にも焼死体があったという。参拝に訪れた人々は、露出した白神巨厳を拝し、悲嘆にくれた。その後の白神社を引き継いだのは宗像久男氏だった。一九四五年一〇月二九日、仮殿を組んで祭事を執行すると、ポロ着姿の参拝者たちが祭事やみこ舞などを見ながら感きわまって泣いたという。 現在、社殿下の岩石群(白神巨厳)と、鼻の欠けた駒犬、熱線の影を残す灯ろうや手水鉢が当時の面影を残している。岩石群は、旧国泰寺跡の愛宕池の岩塊につながる大岩盤の一部である。そのひび割れたさまが、巷間「大きな岩石は強烈な爆風圧のためパックリ割れ云々」といわれているのは誤りで、一九五五年の神殿改築の際、移動中に割ったものである。しかし、岩石の表面が赤く変色しているのは被爆の証である。焼けた岩に触れながら、白神社禰宜の宗像紀道さんが語る言葉に力がこもる。 「白神社は爆心の社です。この岩も被爆しています。原爆に反対するのは白神社の神官としての義務だと考えます。私も原爆で親戚を一五人も失いました。戦争や原爆は、もういりません」 (平和文化「ドキュメンタリー原爆遺跡」より) |
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