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広島電鉄千田町変電所
  • 爆心地からの距離 1920メートル
  • 中区東千田町2丁目9番29号(千田町3丁目)
  • 1912(大正元)年11月竣工
  • レンガ造平屋建・地下1階
  • 設計・施工 不詳


南東側からの全景 1912年頃


  この建物は広島電気軌道が開業した1912(大元)年に発電用のボイラーと発電機を収容するために建設された2棟からなるレンガ造建築である。石炭焚きのボイラー2基とタービン式交流発電機2基が設置された。壁体はイギリス積みレンガで,両棟とも地下室を有し,大型機器の設置に対応させていた。発電所は1934(昭9)年に老朽化と能力の低下を理由に廃止され,電力は広島電気から供給を受け,千田町変電所となった。

東側からの外観 1945年11月頃

 原爆によって変電所は倒壊を免れたが,車両の被害は108両におよび再起不能と思われた。しかし,被爆当日の午後から復旧にかかり,8月9日にはもう最初の電車が動きだした。千田町の変電所が生き残ったことが,被害の大きさにもかかわらず早期の復旧を可能としたのである。

東側から 2000/8/30

 変電所の建物も爆風により小屋組は損傷し,レンガ壁も変形したが,応急修理が施された。1958(昭33)年には北側の変電所棟のレンガ壁の補強と変形した小屋組の改修が実施された。外壁の上半分の立面が従来と変わったほか,レンガ壁にはペンガラを塗り化粧を施した。

南東側から 2000/8/30

 しかし現在は白色系統の防水塗料が施され,創設時の立面とは印象の異なるものとなっている。これに対して南側の旧ボイラー棟は比較的損傷が少なかったため,立面はよく保存 されている。(広島市『ヒロシマの被爆建造物は語る』から)

営業所前のモニュメント2000/8/30