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本川護岸
  • 爆心地からの距離 480メートル
  • 中区土橋町8番(塚本町)本川右岸

 
本川護岸 1939年頃 

 戦前の本川護岸。藩政期から荷揚場として栄え、周辺の堺町は問屋街を形成しにぎわった。(広島市『ヒロシマの被爆建造物は語る』から)

対岸から見た現在の本川護岸 2000/10/6

 

西側から見た本川護岸 2000/10/6

 

護岸の礎石 2000/10/6


護岸のたらいみず 2000/10/6
護岸のたらいみず右側面 2000/10/6
護岸のたらいみず左側面 2000/10/6

 

復元された常夜灯 2000/10/6
常夜灯の説明板 2000/10/6