日本赤十字社広島支部
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この建物は1925(大14)年2月,広島商業会議所の新館として竣工した。相生橋東詰め,産業奨励館のすぐ北隣である。地下に炊事場,1階に事務室,2階は議事室を配していた。近代建築様式を基本としながら玄関周りはアーチの縁取りを2階部分まで取り入れ,東西側の縦長の窓と協調して,垂直方向を強調したモダンなデザインだった。 広島商業会議所は1928(昭3)年に広島商工会議所と改称,1936年には電車通りをはさんですぐ北の現在地に新築移転している。ちょうどこのとき日本赤十字社広島支部は赤十字病院を建設するため,千田町の事務所を移転する必要が生じており,代替の事務所として商工会議所の旧所屋(新館・旧館とも)を取得し移転した。 1937(昭12)年に日中戦争が始まり戦時体制に組み込まれていくなか,ジュネーブ条約に基づいて,日赤広島支部も戦時救護活動のため16の救護班を編成した。国内外の陸海軍病院や兵站病院,病院船などに向け679人を召集,48人が殉職した。 至近距離で炸裂した原爆は,鉄筋コンクリート造の建物を大破し,支部職員15人の命を奪った。躯体だけをかろうじて保った残骸は,利用されることなく,しばらくの間焦土にたたずんでいた。(広島市『ヒロシマの被爆建造物は語る』から) |
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