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原爆の子の像
  • 平和公園内

原爆の子の像 2000/9/5

 この像は、白血病のため12歳の若さで亡くなった被爆少女、佐々木禎子さんの死を悼んで、全国の少年少女たちの募金で建立されました。禎子さんが死の直前まで、生きる願いを託して折り続けた千羽鶴がモチーフになっていて、「千羽鶴の塔」「折り鶴の塔」とも呼ばれます。

原爆の子の像 2000/9/5

 像は、3脚のドーム型の台座の上に、ブロンズ像の少女が頭上に折り鶴を掲げて立ち、その両横に両手を広げた少年少女像が配置されています。高さは約9mあります。具象彫刻家、菊池一雄さんの制作で、折り鶴の少女は永遠の理想を、両横  の少年少女像は明るい未来を象徴しています。   

 禎子さんは2歳の時、爆心地から約2km離れた自宅で被爆しました。明るくて元気な少女でしたが、広島市立幟町小学校6年生の時に発病し、長い闘病生活の末、中学校l年生の時に亡くなりました。被爆からちょうど10年目でした。

碑の表面 2000/9/5

 禎子さんと仲の良かった幡町小学校の同級生たちは、「広島折り鶴の会」世話人の河本一郎さんから「再び少年少女の原爆犠牲者を出さないように、記念像をつくろう」と励まされ、像の建立運動を始めました。この運動は禎子さんが通う予定だった幡町中学校をはじめ広島市内の小・中・高校で反響を呼び、禎子さんが亡くなつた3力月後の1956年(昭和31年)3月、19校の児童・生徒たちが参加して、「広島平和をきずく児童・生徒の会」ができました。

 児童・生徒たちはたまたま、その直後に聞かれた全日本中学校長会議の出席者に、像の建立資金の募金に協力を呼びかけました。すると、全国の学校で募金運動が始まり、約580万円もの善意が寄せられました。海外9カ国からも募金が届きました。像はこの募金をもとに建立され、1958年(昭和33年)5月5日の子どもの日に除幕しました。

 碑の裏面 2000/9/5

 この時、ノーベル賞物理学者の湯川秀樹博士から鐘と金色の鶴が贈られ、像の中央部につるされていましたが、金色の鶴は盗まれ、現在は複製品が原爆資料館に展示されています。悲しいことですが、このほかにも供えられた千羽鶴が焼かれたり、落書きされたり、何度か被害を受けています。

 でも、この像は今も平和を願う少年少女たちの象徴的な存在で、いつもたくさんの千羽鶴が供えられています。(広島県原爆被害者団体協議会「ヒロシマは語る」から)