home

韓国人原爆犠牲者慰霊碑
  • 平和公園内(中区堺町1丁目から移設 1999年7月21日)

韓国人原爆犠牲者慰霊碑 2000/9/6

 本川橋たもとの緑地帯に、亀を型取った台座の上に高さ約5mの碑柱が建っています。それが韓国人原爆犠牲者慰霊碑で、1970年(昭和45年)4月、在日本大韓民国居留民団広島県本部などが中心になって建立されました。

 どうして、韓国人が広島で被爆したのでしょう。原因は、1910年(明治43年)の日韓併合にあります。この時から日本の植民地支配が始まり、圧政で農地や山林を失った人たちの一部は生活の糧を求めて、日本に移住しました。また、昭和に入って、1931年(昭和6年)に満州事変、1937年(昭和12年)に日中戦争が始まると、日本の男性たちが兵隊になって
労働力が足りなくなったため、国家総動員法という法律によって、朝鮮の人たちを日本国内の炭鉱や鉱山の労働者として移入する政策が取られました。そして、1944年(昭和19年)には国民徴用令という法律が出されて、強制的に炭鉱や軍需工場、建設現場などへ徴用されました。原爆が投下された1945年(昭和20年)には、日本国内に約200万人もの朝鮮人がい
たのです。

碑の由来 2000/9/6

 このうち、広島にどのくらい住んでいたのかははっきりしませんが、韓国原爆被害者協会の調査では、約5万人が原爆投下に遭い、約3万人が亡くなったと言います。また、広島県朝鮮人被爆者協議会も約3万人が亡くなったとしています。

 戦後、朝鮮が大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に分裂したため、日本に残った朝鮮人もどちらかの国籍になり、韓国籍の人たちが碑を建てました。

 碑のある場所は、朝鮮王家の一族で軍人として広島に赴任していた李殿下が原爆被災後に一時避難していた場所とされています。そのゆかりの地として建てられたわけてすが、その後、「碑が平和記念公園の外にあるのは民族差別だ」という声があがりました。

堺町の移設の看板 2000/9/6

  一方で、北朝鮮籍の犠牲者の慰霊碑がないのはおかしいとの声も出たため、広島市は公園内に韓国、北朝鮮の統一碑を建立する案を提示しました。しかし、設置の方法について母国が分裂状態にあることが影響し、実現しないままになっています。(広島県原爆被害者団体協議会「ヒロシマは語る」から」から)