陸軍病院跡の被爆榎 子どもたちに守られてきた
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原爆ドームのところから、太田川を左に見ながら川岸をのぼると空鞘(そらざや)橋、その東詰め北側の土手下に「屍の街」などで知られる作家大田洋子の記念碑があります。被爆後、郡部に逃れようとしながら川にさえぎられここで息絶えた人々、戦後多くの被爆者がバラックを建てて住んでいたこのあたり、今は、すっかりおだやかな風景ですが彼女の作品の舞台となったところです。 さらに岸をのぼると高層アパートに囲まれた遺跡があります。広島第二陸軍病院跡。かつての門柱を使った慰霊碑、病院の庭石を組んだ台座、そばの銅板には死没者の氏名が刻まれています。患者、医師・職員約三百人がこの地で亡くなったといわれています。 慰霊碑のすぐ土手下に被爆榎があります。樹齢約百年、幹の周囲が二・五メートルのこの木は、今は高さ四メートルのところから折れているうえ枯れて黒くなっています。爆心地の方に向いた幹をざつくりえぐり取られたこの木は、もとは高さが十五メートルもある立派な榎でした。 こうした努力の結果、新しい芽が出てみんなを喜ばせましたが、最近は遂に力尽さたようです。しかし、幹の近くに榎二世が小さな芽を出しています。そばには、この木を守ってきた子供たちのこんな立て札があります。 |
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